Friday, February 1, 2008

日本の記憶(Memory of Japan)

私は一番大好きなJas-Martに行く時、まずお菓子が並べているところにいかなければならない。美味しそうな食べ物を見たら、私が日本に行った経験を思い出せる。Jas-martのお菓子は、日本から輸入されたので、箱は全部日本語だ。それを見て、い瞬に日本にいるの感覚がある。この例を通して、言葉の力を分かるですね。言葉はいろいろな使う方法がある、資料を教えるだけじゃない。言葉を通して、いろいろな感覚や資料を表せると思う。例えば、中国の感覚に表したい時、中国語を書けばいいです。だけど、読んでいる人は中国が全然分からない場は、中国語を書くことは無理ですか?いいえと思います。

日本語の文字が四つがあります。漢字やカタカナやひらがなやロマンジがあります。そして、違う時違う文字を使っている。例えば、ふつうの日本語んの文化はひらがなと漢字で書かれた。だけど、この規則を破る例は、雑誌とか、こうこくにたくさんある。(これから、英語で書)

Hence, I think that when the rules of usage are broken, it is used to convey a feeling of newness, and western influence. Just like how we think of Japan when we look at Japanese words on packaging, Japanese people think of Western Influences when they see Katakana or English.

The prevalence of Katakana used as a replacement for words that have an Hiragana equivalent, then, might also underscore a certain admiration for western objects and values, or even a belief that things that are imported from the West have more value over things made locally, or at least the belief that they are more modern in style and feel.

1 comment:

yukki said...

Desmondさんが言っていること,よくわかります!私もチャイナタウンに行くと,中国にいるような気分になりますよ。

カタカナや英語が西洋の影響をあらわしているというのは,おもしろい意見ですね。カタカナで書いてあったら新しい/かっこよく見えるという意見と合わせて考えると,「西洋=すてき」なんでしょうか。

シンガポールでも同じようなことがありますか。